Elena et les hommes

恋多き女

イントロダクション

人生は祝祭!
よき時代 ベル・エポックのパリ

20世紀初めのフランスを舞台に、ポーランドから来た美貌の公女エレナが巻き起こす恋愛騒動を描く名作。革命記念日に沸くパリで、エレナに恋した3人の男たち、国民的人気の将軍、その親友の伯爵、富豪の実業家。彼らの行動はやがてフランスを揺るがす大騒動に発展していく。彼らとフランスの運命は、公女エレナの純粋な心にゆだねられていた。ジャン・ルノワール監督が、美しい映像とともに綴る、心躍る恋愛讃歌である。

イングリッド・バーグマン主演の大らかな恋愛喜劇 主演はイングリッド・バーグマン。ハリウッドと家庭を捨て、イタリアの名匠ロベルト・ロッセリーニと結婚した世紀のスキャンダルから6年。『大いなる幻影』の名監督ジャン・ルノワールのもとで、変わらぬ美しさをあでやかに披露し、ハリウッド復帰のきっかけとなった恋愛喜劇の名作である。共演はフランスの二枚目俳優ジャン・マレーと、この頃オードリー・ヘプバーンと結婚していたメル・ファーラー。そして特別出演の歌姫ジュリエット・グレコが大輪の花を添える。

物語

「フランス人は恋愛好きだ」
「これも文明の一形態」

<ベル・エポック>のパリ、7月14日の革命記念日。国民的人気のロラン将軍をひと目見ようと、大群衆が街を埋め尽くす。この日、ポーランド公女エレナ・ソロコフスカは、幸運のヒナギクをロラン将軍に捧げ、伯爵のアンリとワインを飲み交わす。エレナの輝くばかりの美貌は、男たちを夢中にさせるが、夫に先立たれた彼女は、実業界の大立者マルタン=ミショーと結婚するためにパリを訪れていた。おりしも隣国ドイツとの戦争の危機が迫るなか、エレナをとりまく男たちの争いも始まろうとしていた。

『恋多き女』は、これこそ絶頂期の
ジャン・ルノワールだと思わせる作品である

–フランソワ・トリュフォー

監督

ジャン・ルノワール 
Jean Renoir

1894年9月15日、パリ、モンマルトル生れ。画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男。第1次世界大戦に従軍し、足に銃撃をうけ負傷。その後航空学校でパイロットの資格を得、偵察飛行隊に配属されるが、まもなく後方勤務となり、パリで映画に耽溺する。
1924年『カトリーヌ(喜びなき人生)』と『水の娘』で映画監督デビュー。『素晴らしき放浪者』(‘32)、『ピクニック』(‘36)、『どん底』(‘36)を経て、『大いなる幻影』(‘37)で、アカデミー作品賞にノミネートされるなど国際的名声を得る。『ゲームの規則』(‘39)を最後に、第二次世界大戦がはじまり、アメリカに脱出。以後、ハリウッドを拠点に『スワンプ・ウォーター』(‘41)などを監督。戦後はインドを舞台にした『河』(‘50)、イタリアで撮った『黄金の馬車』(‘52)を経て、『フレンチ・カンカン』(‘54)『恋多き女』(‘56)で、母国フランスに回帰した。辛辣なまでのリアリズム演出と、大らかで楽天的な人生観が共存する豊潤な映画世界は不滅の輝きを持つ。1979年2月12日米国カリフォルニア州の自宅で死去。84歳。

キャスト

イングリッド・バーグマン Ingrid Bergman
ポーランド公女エレナ・ソロコフスカ

1915年8月29日、スウェーデンの首都ストックホルム生まれ。2歳で母を、12歳で父を失い、思春期を叔父のもとで送る。王立演劇学校に入学し、1年後『ムンクブローの伯爵』(‘34)で映画デビュー。またたくまに人気女優となり、『間奏曲』(‘36)が、ニューヨークで上映されたことで、アメリカの大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックと契約する。『間奏曲』のリメイク『別離』(‘39)でハリウッドデビュー。以後、『カサブランカ』(‘42)や大作『誰が為に鐘は鳴る』(‘43)を経て、『ガス燈』(‘44)でアカデミー主演女優賞を受賞。スターの座を不動にする。ヒッチコックの『白い恐怖』(‘45)『汚名』(‘46)『山羊座の下で』(‘49)などで活躍後、ロベルト・ロッセリーニの作品に出演するため、単身イタリアに渡る。たちまち恋に落ち、娘をもうけていたスウェーデン人の夫と離婚し、ロッセリーニと結婚。不貞行為を働いたとして、アメリカでは非難が集中し、映画界からボイコットされる。ロッセリーニ作品は『ストロンボリ 神の土地』(‘50)や『イタリア旅行』(‘55)など6作品におよぶが、久々に出演した他の監督作品がジャン・ルノワールの『恋多き女』(‘56)である。この作品の好評をきっかけにアメリカ映画に復帰し、その第1作『追想』(‘57)で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞する。以後、『オリエント急行殺人事件』(‘75)でアカデミー助演女優賞を受賞したほか、母国スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンの『秋のソナタ』(‘78)に主演するなど、世紀の大女優として生涯を全うした。1982年8月29日、ロンドンで死去。

ジャン・マレー Jean Marais
将軍フランソワ・ロラン

1913年12月11日、フランスの港町シェルブール生まれ。4歳から、獣医だった父と別れた母とともにパリに出る。フランス演劇界の重鎮シャルル・デュランのもとで演技を学び、端役として舞台や映画に出演する。1937年、ジャン・コクトーに見いだされ、舞台「エディプス王」の主役に抜擢される。続いて同じコクトーの「円卓の騎士」「恐るべき親たち」にも主演して人気を博す。映画に進出したコクトーは、マレーを主演に『美女と野獣』(‘45)、『双頭の鷲』(‘47)、『恐るべき親達』(‘48)、『オルフェ』(‘49)と傑作を連打。マレーはフランス映画の新しい二枚目として人気を国際的なものとした。日仏合作の『忘れえぬ慕情』(‘56、監督イヴ・シャンピ)では岸惠子と共演している。1998年11月8日、カンヌにて死去。

メル・ファーラー Mel Ferrer
伯爵アンリ・ド・シュヴァンクール

1917年8月25日、ニュージャージー州生まれ。父はキューバ系の医師。プリンストン大学在学中から演劇活動を始め、卒業後は出版社勤務をはさんで、ブロードウェイに進出。映画には当初ダイアローグ・ディレクターとしてかかわるが、1945年に‘The Girl of the Limberlost’で監督デビューしている。1949年、‘Lost Boundaries’で映画俳優デビュー。『リリー』(‘52)が出世作。1954年、ブロードウェイ公演「オンディーヌ」で共演したオードリー・ヘプバーンと結婚。『戦争と平和』(‘55)、『緑の館』(‘59、監督メル・ファーラー)でも共演した。生涯に5回結婚した彼の4回目の結婚で、一子をもうけたが、1968年1月に離婚した。2008年6月2日、カリフォルニア州サンタバーバラで死去。

ジャン・リシャール Jean Richard
ロラン将軍の従卒エクトール

1921年4月18日、ベシーヌ生まれ。若き日は風刺漫画家として活動。サーカスへの情熱を持ち続け、自らサーカス団や遊園地を運営した。俳優としては1947年に国立高等演劇学校を終了後、コメディ映画で活躍。『恋多き女』はその代表作。『わんぱく戦争』(‘62)を経て、1967年から始まった「メグレ警部」のテレビシリーズで、主役のメグレ警部を長く演じ、生涯の当たり役とした。2001年12月12日、サンリスにて死去。

予告編

劇場情報