はじめに

 

この冊子は、放課後シアターvol.5『イロイロ ぬくもりの記憶』を川崎市アートセンター(小田急線新百合ヶ丘駅徒歩3分)で作品を鑑賞し、感想を話し合い、後日LINE上で1時間程度の座談会を行い、各自原稿を分担、それをまとめることで完成しました。

 

表題の「wakaba(漢字表記=若葉)は、若い世代である私たちの小さな意見の寄せ集めという意味です。

私たちは映画に特別詳しいというわけではありません。素人目線ではありますが、この冊子を手に取ってくださった方に少しでもこの映画の魅力が伝わることを願っています。

 

もしもご意見、ご感想やご指導いただけるようでしたら、メールアドレス(theater.wakaba@gmail.com)にお寄せください。また、近隣にお住まいの高校生で私たちの活動に参加してみたい方も、ぜひご連絡ください。お待ちしております。

 

※一部ストーリーに関するネタバレを含んでおりますので、これから映画を鑑 賞される方はご注意ください。

 

 

 

第二回 LINE de 座談会 317

 

Takahashi(以下T):今日の議題は「監督が映画を通して伝えたいこと」「ジャールー一家とテリーのその後はどうなったのか」この二つです"

Iino(以下I):現実を切り取ってきたような映画でした。テーマのうかがえる場面がありました。

Sugiyama(以下S):不況だった当時の一般的な家庭を描いていますね。

T:パンフレットを読みましたが、監督は感動映画を作りたかったわけではないようです。

I:映画を観た帰りに先生と話した時に、トイレの描写について話が出ましたトイレの描写では。お母さんが吐いたり、鶏を殺したり。

T:何度も出ていましたね

I:けっこう画面的にもエグさのあるものでした。

Yamada(以下Y):ジャールーが喧嘩する場面もトイレでしたね。

S:何か意図があると?何かを捨てるとか。

I:トイレっていうのは、とてもパーソナルですよね。隠れているというか。

T:全体的にマイナスなことばかりでしたね。

I:喧嘩とか醜いこととかが、閉鎖的なところに抱え込まれていることが、比喩なのかなと。

S:心情の変化と合わせて出てきていたかなと思いました。ジャールーが学校で喧嘩するシーンはテリーに対する思いの変化が顕著にみえます。

Y:そうですね。

I:他にテーマをうかがわせる場面だと思ったところはありますか?印象的というか。 

私はジャールーが、宝くじが得意だったところが不思議に思いました。

S:それとは違うのですが、劇中に出てきた「たまごっち」やポケモンのシールは1997年のシンガポールにあったのかな。監督は何故登場させたのでしょう?

I:「たまごっち」は何度か出てきましたよね。投げ捨てられちゃったり。

T:ゲームボーイではなく「たまごっち」というのはポイントだと思うんです。

S:日本での発売が1996年末です。

I:「たまごっち」は昔のものは地味でただただ育成って感じ。

T:映画のどの辺りで出てきました?

S:ジャールーが家族と家に居るのに独りというシーンで。車の中、食事中。

I:タイトルに絡みますね。中国語の題名は『両親不在の家』という意味。

T:親にはあまり心を開いていなかったですね。

S:現代の私たちに向けたメッセージかも?

S:スマホ=「たまごっち」?

T:そうそう。

I:通じるものがあったからこそ、ヒットしたのかな?

ケンタッキーかなにかのチキンが食卓に大量に並んだ時に、お父さんがペットとして鳥を買ってきたのには苦笑しました。「たまごっち」は鳥ではないけど、卵からかえりますよね?

S:日本語のタイトルは現代人が忘れかけている家族のぬくもりってこと?

I:家族はキーだと思います。しがらみ、本当に大切なもの、という感じを受けました。

S:お父さんが「たまごっち」の代わりに買ってきたのが鳥だった。

T:共働きでぬくもりを感じにくいとは思います。

S:共働きだからこそ現代に近い感じはします。

I:経済状況、民族、宗教、教育、立場…。

S:現代との共通点を意図的に作っていますね。

I:しがらみに埋もれてしまって、本当に大切なものは全然手に入らない。メイドが雇える経済状況の時から、ジャールーの家にはぬくもりはありませんでした。

T:テリーが来てぬくもりが生まれるようになった。

I:唯一のぬくもりがうまれたんですね。

ジャールーの宝くじなんですけど。2回ピンチを切り抜けるために使いましたね。

T:いたずらばかりしていたのは、性格ではなくて、ぬくもりが足りなかったから?

Y:一人の寂しさからいたずらは来ていると思いました。

S:ジャールーが問題児だったのも家族にかまってほしかったのかな?

T:宝くじは、使い道が違いました。

I:一回目は先生の買収、2回目はテリーを家に留めるため。

S:「自分を守る」から「他人を守る」へ。

T:成長ですね。

I:一回目は見事うまくいきましたけど、二回目は失敗。成長はあるかもしれません。

宝くじって過去からデータとって予測して…っていう冷たいもの。テリーとのぬくもりは、宝くじごときでは引き換えられない、もっともっと大事で高次のものだったのかな。

S:納得。

T:次の議題に。その後、彼らはどうなったでしょう?

S:映画ではハッピーエンドではなかったですね。

I:テリーは国に戻り、お母さんは出産って所までですね。無力感が残りました。テリーは国でどうしてるんでしょう?電話で口論になっていた妹との関係も気になります。

T:出稼ぎに来たわけですし、きっとまた働きに出ていると思います。でも今度は息子ともっとコミュニケーションが取れる職業なんじゃないかな?

S:途中でお金がもっと必要だという描写がありました。現地の仕事でどうにかなるとは思えない。

Y:隠れて副業する必要があるくらいでした。

T:他の国に出稼ぎにいっているかもしれません。ではジャールーは?

I:ジャールーは、テリーがいなくなった後、彼女の言い残したように頑張れているのかな?それとも徐々に元に戻っていくのでしょうか?

T:家族の仲も少し良くなって、寂しさもなくいたずらも減っていくのかな、と思いますY:家族が増えて、寂しさは和らいでいったかな。

S:宝くじの統計をやるくらいですから、努力して成績が上がったりして!

I:ジャールーは、他の大人よりも期待が持てます。

T:データに強くてそのような職業に就く、となっていたら面白いですね。ただお金の問題で親が不仲にならないか、不安は残ります。

I:お金ができたら、テリーとの再会を願って行動するかもしれません。

S:経済危機って97年の7月からだったようです

I:いつまで続くのかな?

お父さんはお母さんに馬鹿にされている、と思ったりしましたし。経済面以外でも、家族の関係にも問題がでてきますね。

S:両親がすぐに職を得られたとは考えにくい。関係は家族が増えたことで一旦は回復しそう。

T:これから家族が増えてさらに経済面で辛くなりますし。ジャールーが寂しい思いしないかどうか?親が赤ん坊にかかりきりになるので。でも出会いと別れを経験して少しは強くなれたんじゃないかな。

S:そこでテリーの言葉を思い出すんですね。

I:状況的には最悪ですね。破滅をギリギリ食い止める感じでしょうか?

T:「一人で頑張って」という言葉には、赤ん坊ができて親が相手してくれなくても、とかいう意味が込められていて。

I:テリーもジャールーと離れるのは不安。髪の毛、ちょん切ってましたね。そのあとも髪を眺めていたし。

S:それだけ依存していたのかな。

T:髪はちょっとひどいなって思いましたけど(笑)。

一同:笑。

I:お守りに?

S:そのお守りが部屋の肥やしになる頃には立派な青年になっているでしょう。

T:「もう一度(テリーに)会いたい」って言って、別の映画ができそう(笑)。

I:続編つくったとしても「ハッピーなハートフル!」とかにはならないね。

S:めっちゃ努力して成功して、テリーを迎えに行きそう。

I:一筋縄ではいかないでしょうね。しがらみまみれでもがくことになるでしょうね。

T:このあたりで終了でしょうか?

I:あっという間でした。

S:同感です。

 

 

 

 

 

 

 

 

豊かな人生って何?   飯野真鈴

 現実を切り取ってきたかのような演出と内容でしたが、数多くのテーマがちりばめられていたように思います。

全体を通して、人々が多くのしがらみに振り回される中、ジャールーとテレサが一瞬手にした、心を満たす何か本当のもの、という感じを受けました。この映画を観て、豊かさについて考え直させられました。
 「豊か」というとどんなイメージがありますか?食べ物やお金や物がたくさんあって、幸せ!って感じでしょうか。

豊かさとは、全体的には満ち足りていることを指しますが、2つに分けると経済的な豊かさと、精神的な豊かさとがあります。 精神的な豊かさというのは、心にゆとりがあり、満たされていることです。

 幸福と豊かさについてはどうでしょう。 幸福とは、満ち足りていること、不平不満がなく、楽しいことを指します。 これは全体的な意味での豊かさとよく似ていますが、経済的な豊かさ、精神的な豊かさとはどう関わってくるのでしょうか。さっき、食べ物やお金や物がたくさんあって、幸せ!って書きましたが、なんとなく私たちが考える幸せって、経済的に豊か=心が満たされる=幸せ っていうような感じじゃないでしょうか。お金があっても幸せになるとは限らないよ!とか、幸せは自分の感じ方次第だよ!っていう指摘を、そうだね、そうだね、と言いつつかわして、結局その単純な図式にべったりな気がします。
 内心は、「足ることを知っていれば幸せ、って言われても、それって地味だし無欲になれないし別になりたくない。っていうかそもそもお金があればいい話じゃん。それに精神的な幸せって、美味しいものを食べて、素敵な服を着て、友達と恋人がいればいいってことでしょ。やっぱりお金だいじじゃんか!」っ てところでしょうか。
 美味しいものを食べて、素敵な服を着て…が精神的幸福っていうところは、どうなんでしょうか。
欲を満たして、うわべを整えて、楽しんで、って、すごいわかりやすいですけど、そんなとりとめのない、一時的なものは、追いかけるほど心は疲れるのかもしれません。うつの薬を飲みながら友人関係を保ち、お小遣いを稼ぎ、楽しもう、贅沢をしようという大人をたくさん知っていますが、本当に幸せな人に、なぜ薬が必要なのでしょうか…?
 また、まだテレサを雇う経済的余裕のあったころのジャールーの家庭は、幸せだったと言えるのでしょうか。 宝くじのデータを集めて、当選番号を当て、見事先生を買収したジャールーでしたが、二度目にテレサを救おうとしたときには、外れてしまいます。このあたりにも、資本主義の虚しさみたいなものが表現されているのかもしれません。
 幸せになるために、大切なことはなんなのか。この映画では、アジア通貨危機下のシンガポールが描かれていますが、先進国となり、”豊かな社会”となった現代日本に生きる私たちにも、この映画は問いかけてきます。
 ぜひ、普段の自分の生き方や家族とのことを振り返ってみて欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つながる」ということ  山田 廉

 

 「イロイロ」は観る人によって、捉え方が違ってくる映画です。移民労働者と不況を描いており、「家族」、も描いています。個人的には、この映画はやはり家族をメインテーマにした映画だと感じました。

その中でも一番描きたかった事は、子どもにとって良き大人、良き母親だと私は思います。

本作には二人の母親が登場します。OLとして働くジャールーの母と、単身赴任のフィリピン人メイドのテレサです。二人はジャールーへの接し方、コミュニケーションが異なっています。母は会話や料理でジャールーと近づこうとするのですが、どこか淡々としており、親子の距離を近づけられない印象を持ちます。一方テレサはヤンチャなジャールーに振り回され、必死に体を張って彼と接します。そんなテレサに対してジャールーは、ある時を境に心を開いていきます。そのある時とは、彼が左腕のけがをした時です。ジャールーの母に怒られながらも風呂場で洗濯の介助をしてくれるテレサに、親身さを感じたのでしょう。息子と仲良くなっていくテレサに、ジャールーの母は嫉妬しながらも、次第に受け入れていきます。

こうして書くと、ジャールーの母がダメなように思えます。しかしそうは言えません。子供を授かりながら働き(シンガポールには産休制度がないそうです)、不況も、夫が何か隠していることも感じている状況なら、誰でも不安になるでしょう。息子にあまり構ってやれないのは、しょうがないのではないでしょうか。子供にとって良き母親とは、何か。それは「心配」や「不安」を伝えてあげることではないでしょうか?ジャールーの母は強く生きようとしています。悪く言えば独りよがりです。OLとして、母として立派でいなければならないという思いが強かったのでしょう。自分を信じたかったからこそ、怪しい自己啓発セミナーに手を出したのでしょう。ですがジャールーが望んでいたことは、強い母でいることではなく、弱い部分も見せ合える関係だったように思います。テレサの孤独感が伝わったからというのも、ジャールーがテレサに心を開くようになった理由の一つだと思うのです。

良き母とは、何か模範的な人ではなく、子供に気持ちを伝えられる人、「つながれる」人だと映画を観て思いました。

それと、この映画のいいところは、人物の良さも悪さも現れていることです。これが普通の映画だったら、テレサを良い人にして、ジャールーの母を悪者にして、テレサをきっかけに更生していく、と描くでしょう。作中の登場人物は、みんな揃って普通なのです。テレサは真面目に仕事をしますが、内緒で副業をし、家の化粧品を勝手に使う等と、清廉潔白な人物ではありません。

去年観た映画「チョコレートドーナツ」と、「ショート・ターム」も子どもと大人の関わり方という点で本作と通じる部分があると思いました。また「感動の〜」「泣ける〜」と銘打たれた日本映画がいかにも「お涙頂戴」ばかりなのだなとも思いました。このような映画で描かれているものこそ、ほんとうの感動です。

この映画は、一九九七年という時代設定です。この年は、ちょうど私が生まれた年でもあります。日本の空気感も、本作のような感じだったのかな?と一八年前の世の中が気になってきました。

マイナーな映画ですが、ティーン、その親とイロイロな人に観てもらいたい一本です。

 

 

 

 

 

 

当時のシンガポール・アジアをとりまく経済問題  杉山友亮

19977月のタイ・バーツの変動相場制移行に端を発し、インドネシア、韓国など東アジア諸国に波及した通貨危機。80年代後半以降、東アジア諸国は高い経済成長率を実現し、これに伴い海外から短期資本が大量に流入した。タイ・バーツは、実質的な対米ドル固定相場制を採用していたため、数度にわたり通貨投機の標的となったが、変動相場制への移行による事実上の通貨切り下げを行った。この影響が周辺諸国に瞬く間に伝播し、多くの東アジア諸国の通貨が大幅に減価した。外資の大量かつ急激な流出や為替下落による自国通貨で見た対外債務の急激な増加、金融システムの混乱による急激な信用収縮と不良債権の増加などが発生し、深刻な景気後退をもたらした。危機対応を契機に、改めて、最適な通貨制度の採用、国内金融制度の整備・充実、それらと整合的なマクロ経済政策の必要性が認識されることとなった。この点、IMFが当初、緊縮的な諸施策を導入したことで危機を深刻化させた面も指摘されている。短期間に危機がアジア各国に波及し深刻な影響を与えたことから、IMFを補完する地域金融協力体制の必要性も認識された。                      

絹川直良 国際通貨研究所経済調査部長

 簡潔にまとめると、当時経済成長の真っ只中だったアジア諸国における経済状況と通貨価値のズレに目をつけたヘッジファンドが多額の通貨の空売りを仕掛けたことで起こった大規模な経済危機がアジア通貨危機ということになる。同様の構図で起きた経済危機にポンド危機と言うものもあったようで、こちらも広範囲に飛び火し、大規模な経済危機を引き起こしている。アジア諸国において経済状況と通貨価値のズレは、当時のアジア諸国の多くが為替の固定相場制を採用していたことが主な原因である。固定相場制とは、為替相場の変動を固定または極小域に限定することである。これは一つの通貨との為替レートを固定するドルペッグ制などの体制以外にも複数の通貨の平均に合わせる通貨バスケット制、その国の中央銀行が為替レートを操作する管理フロート制など様々なタイプがある。また、一般的に固定相場制は先進国には不向きであり、採用している国の多くが発展途上国である。

本作の舞台であるシンガポールでは固定相場制の中でも変動相場制に近い通貨バスケット制を採用している。シンガポールは80年代の経済の黒字収益の影響などでタイ、インドネシアなどの周辺の国と比べてアジア通貨危機の影響を受けていない。しかし、通貨危機の長期化に伴い徐々に悪化し、2000年代に入ってからITバブルが弾け経済のマイナス成長、失業率の上昇を伴う経済危機に陥ってしまった。

本作の時代設定は1997年となっています。これは、シンガポールの経済が徐々に悪化していった時期にあたります。本作はジャールー一家が新たなスタートを切るところでエンディングとなりますが、シンガポールのその後を考えると非常に心配になります。しかし、そんな経済不振も現在は収束しシンガポールはアジア屈指のIT都市へと成長を遂げています。治安も非常によく、犯罪発生率は日本よりも低いです。そして、そんな現在のシンガポールを支えているのはジャールー達の世代であると言えます。シンガポールは発展した姿ばかり目立ってしまっていますが、現在に至るまでに本作にも描かれているように多大な苦労をしていることを忘れてはいけないのだと私は考えています。

 

 

 

 

 

 

 

現在のシンガポールとフィリピンについて  橋春香

 

二〇一五年三月二三日未明、シンガポールの建国の父と呼ばれ、初代首相としてシンガポールを繁栄に導いたリー・クアンユー元首相が死去しました。

リー元首相は一九六五年にシンガポールが独立したあと、二五年にわたって初代首相を務め、シンガポールの繁栄の基礎を築きました。首相から退いたあとも、上級相や顧問相として四年前まで閣内にとどまり、存在感を示し続けました。リー元首相の息子のリー・シェンロン現首相はテレビ越しに「私たちの建国の父はもういない。彼は私たちを励まし、勇気を与え、団結させて、ここまで導いた。彼のような人物はもう出てこないだろう」と述べました。安倍総理大臣は、元首相が死去したことを受けて、「半世紀以上にわたって極めて大きな役割を果たされ、世界中から深く敬愛されてきた」などとして、功績をたたえるとともに、哀悼の意を表するメッセージを現首相に出した。国連のパン・ギムン(潘基文)事務総長は二二日に声明を発表し、「リー氏はシンガポールを発展途上国から世界でも最も先進的な国へと引き上げ、国際的なビジネスの中心地に生まれ変わらせた。ことし独立から五〇年を迎えるシンガポールの建国の父はアジアの最も偉大な指導者の一人として後世に名を残すだろう」と述べ、リー元首相の功績をたたえました。リー・クアンユー初代首相の後任はゴー・チョクトン前首相で、映画で描かれている一九九七年はこのゴー前首相の時です。現在、前首相は名誉上級相及びシンガポール通貨庁上級顧問をしています。

この映画の舞台・シンガポールについての情報を少し載せておきます。

憲法共和制

通貨)シンガポール・ドル(Sドル)(一Sドル=約八七円)

面積)約七一六平方キロメートル(東京二三区ほど)

人口)約五四〇万人

民族)中華系八四%、マレー系一三%、インド系九%、その他三%

言語)国語はマレー語。公用語は英語、中国語、マレー語、タミール語

宗教)仏教、イスラム教、キリスト教、道教、ヒンズー教

一九九七年七月からタイを始まりとしてアジア各国の急激な通過下落が起きました。アジア通貨危機です。フィリピンも影響を受けていましたが、インドネシアや韓国などに比べれば比較的早く回復しました。

映画の中でもテレサは稼ぐためにシンガポールに来ていましたが、フィリピンの経済はこうした出稼ぎなどの送金によって支えられています。

余談ですが、都市国家であるシンガポールは外国人メイドを雇用している家庭が多いため、メイド税というものがあります。時にはメイドに払う給料より高くなることがあるそうです。

メイド・テレサの故郷・フィリピンの情報です。

憲法共和制

通貨)フィリピン・ペソ(一ペソ=約二.六円)

面積)約二九九平方キロメートル(日本の約八割)

人口)約九二三四万人

民族)マレー系が主体。他に中国系、スペイン系など。

言語)国語はフィリピノ語。公用語はフィリピノ語、英語

宗教)国民の八三%がカトリック、その他のキリスト教が一〇%。イスラム教は五%

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飯野真鈴・山田・杉山友亮・橋春香/表紙:杉山友亮

 

協力:川崎市アートセンター・中山周治・塚原弥栄・石原徳子

 

発行2015年3月29日 wakaba編集部