大いなる幻影

2018年2月3日(土)より川崎市アートセンターほか全国順次公開

イントロダクション

様々な国籍と年齢、階級の人々が、捕虜収容所に邂逅する一大人間絵巻

第1次世界大戦、ドイツの捕虜収容所を舞台に、自由を求め、脱走を繰り返すフランス人将校たちを描く。外国語映画として初めて、アメリカのアカデミー作品賞にノミネートされるなど、公開当時から高く評価され、ジャン・ルノワール監督の名を世界に知らしめた作品である。
主演はフランスを代表する名優ジャン・ギャバン、そしてサイレント映画時代の”怪物的映画監督”エリッヒ・フォン・シュトロハイムが収容所長を演じ圧倒的な存在感を見せる。

捕虜は将校たち。監視する兵隊たち。
国民皆兵の総力戦を戦い、一進一退を繰り返す消耗戦となった第1次世界大戦のなかで、騎士道精神が蘇った将校捕虜収容所の物語。
捕虜となるのはフランス、イギリス、ロシア各国の将校たち。それぞれの出自は、貴族、技師、役者、教授、裕福なユダヤ人…。そして彼らを監視するドイツ軍の新兵や老兵たち。様々な国籍と年齢、階級の人々が、戦争が生み出した収容所に邂逅する一大人間絵巻である。
また本作は、『第17捕虜収容所』『大脱走』など、その後に作られた脱走を描いた捕虜収容所映画の原点として多大な影響を与えている。本作の主人公たちが最初に収容されるのはハルバッハの「第17将校捕虜収容所」である。

本作の修復について※ロシアのゴスフィルモフォンドで発見され、仏トゥールーズ・シネマテークに所蔵された可燃性オリジナルネガから4Kスキャンし、修復復元された2KDCP

物語

「ゴルフ場ではゴルフ。収容所では脱走だ」

フランス飛行隊のマレシャル中尉(ジャン・ギャバン)とド・ボアルデュー大尉(ピエール・フレネー)はドイツ軍に撃ち落され、捕虜となる。ふたりは脱走を重ねた挙句、ドイツの古城に作られた将校捕虜収容所に連行される。脱走不可能とされるその収容所は、かつてふたりを撃墜したドイツ貴族のラウフェンシュタイン大尉(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)が所長を務めていた。同じ貴族階級のド・ボアルデューと彼は篤い友情で結ばれるが、マレシャルたちの脱走計画は着々と進められていく…。

後世に残す映画を一つ選ぶとしたら、それは『大いなる幻影』だ―オーソン・ウェルズ

知的な映画を撮ろうとしているが、『大いなる幻影』の足元にもおよばない―ウディ・アレン

監督

ジャン・ルノワール Jean Renoir

1894年9月15日、パリ、モンマルトル生れ。画家オーギュスト・ルノワールの次男。第1次世界大戦に従軍し、足に銃撃をうけ負傷。その後航空学校でパイロットの資格を得、偵察飛行隊に配属されるが、まもなく後方勤務となり、パリで映画に耽溺する。
1924年『カトリーヌ(喜びなき人生)』と『水の娘』で映画監督デビュー。『素晴らしき放浪者』(’32)、『ピクニック』(’36)、『どん底』(’36)を経て、『大いなる幻影』(’37)で、アカデミー作品賞にノミネートされるなど国際的名声を得る。『ゲームの規則』(’39)を最後に、第二次世界大戦がはじまり、アメリカに脱出。以後、ハリウッドを拠点に『スワンプ・ウォーター』(’41)などを監督。戦後はインドを舞台にした『河』(’50)、イタリアで撮った『黄金の馬車』(’52)を経て、『フレンチ・カンカン』(’54)『恋多き女』(’56)で、母国フランスに回帰した。辛辣なまでのリアリズム演出と、大らかで楽天的な人生観が共存する豊潤な映画世界は不滅の輝きを持つ。1979年2月12日米国カリフォルニア州の自宅で死去。84歳。

キャスト

ジャン・ギャバン Jean Gabin(マレシャル中尉)

1904年5月17日パリ生まれ。芸能一家に生まれ、芝居と歌を身につける。ジュリアン・デュヴィヴィエの『地の果てを行く』(’35)が出世作で、同監督の『望郷』(’37)、ジャン・ルノワール監督の『どん底』(’36)、『大いなる幻影』(’37)が代表作となるフランスを代表する名優。第二次世界大戦中はアメリカに逃れハリウッドでも活躍。戦後はルノワールの『フレンチ・カンカン』(’54) やジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』(’54)などで円熟の境地を見せる。『ヘッドライト』(’56)、『地下室のメロディー』(’63)、『シシリアン』(’69)(すべてアンヌ・ヴェルヌイユ監督)は国際的なヒットを記録した。ヴェネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭でそれぞれ2度、男優賞を受賞している。1976年11月15日パリ郊外の病院で死去。72歳。

エリッヒ・フォン・シュトロハイム Erich von Stroheim(ドイツ貴族フォン・ラウフェンシュタイン大尉)

1885年9月22日ウィーン生まれ。両親はユダヤ系ドイツ人。士官学校卒業後の1909年にアメリカに渡る。1914年に映画界入りし、D・W・グリフィスの『国民の創生』に助監督として参加。1919年『アルプス颪』を監督主演し、華々しいデビューを飾る。以後『愚かなる妻』(’21)『メリー・ゴー・ラウンド』(’23)『グリード』(’24)などで空前の巨費を使った大長篇を監督し、スタジオと衝突を繰り返し、43歳で監督引退を余儀なくされる。その後、特異な風貌を買われ、『大いなる幻影』でドイツ貴族の将校を演じ、大きな話題となる。ビリー・ワイルダー監督の『熱砂の秘密』(’43)でロンメル将軍を演じた後、同監督の『サンセット大通り』(’50)で演じた執事役でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。1957年5月12日パリ郊外で死去。71歳。

ディタ・パルロ Dita Parlo(農婦エルザ)

1908年9月4日、ドイツ・シュチェチン(現ポーランド)生まれ。ウーファ社の演劇学校に入り、『伯林の処女』(’28/ヴィルヘルム・ティーレ)で一躍スターになる。30年ハリウッドに招かれ渡米するが成功せず、ナチ政権下の母国を嫌い、フランスに活動の場を求め、ジャン・ヴィゴの『アタラント号』(’34)に主演。『大いなる幻影』とともに代表作とした。1971年12月12日パリで死去。

ピエール・フレネー Pierre Fresnay(フランス貴族ド・ボワルデュー大尉)

1897年4月4日、パリ生まれ。俳優の伯父の影響で14歳から舞台に立つ。1915年にコメディ・フランセーズに入団し、27年に退団。映画の代表作は『大いなる幻影』のほかに、アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『犯人は21番街に住む』(’42)『密告』(’43)。『聖バンサン』(’47/モーリス・クロシュ)でヴェネチア国際映画祭男優賞。1975年1月9日パリ郊外で死去。

予告編

劇場情報